2012年07月11日
他市に学ぶ「幸福なまちづくり考in多摩」(3)
今回のイベントの報告のつづきです。
一番注目していたパネリストのお話。期待通りです!
医療従事者による「幸福なまちづくり」の視点とは。
地域社会の幸せまで考えて下さる医療者。
身近にいらっしゃいますか?
天本宏先生(医療法人財団天翁会理事長)は
認知症の人、そして家族、そして地域社会というものを、
つねに俯瞰的なところからお考えなのでしょうか。
お話も闊達、そして明瞭です。また直球でありながら、
人に対しての深い愛情が見え隠れします。
(会場からも笑い声がたびたび)
短い時間なので、お考えのほんの一部なのでしょうが、
そもそも私がなぜ会を立ち上げたのかという原点(必要性)を
あらためて再認識されられたような気がしました。
天本先生のお考え、腑に落ちることが数々ありました。
認知症をとりまくさまざまな課題は、在宅へという流れもあり
地域社会と切っても切れない関係です。
そもそも個人だけでの対応はなかなか厳しい。
人としての尊厳や、その人その人の生き方の中心となるもの、
自分の核(意志)となるものを持ち合わせているかどうか。
さて、少し長くなりそうですが天本先生のお話からご紹介します。
(これまで同様、私の記憶とメモを頼りの内容としてご了承ください)
一番注目していたパネリストのお話。期待通りです!
医療従事者による「幸福なまちづくり」の視点とは。
地域社会の幸せまで考えて下さる医療者。
身近にいらっしゃいますか?
天本宏先生(医療法人財団天翁会理事長)は
認知症の人、そして家族、そして地域社会というものを、
つねに俯瞰的なところからお考えなのでしょうか。
お話も闊達、そして明瞭です。また直球でありながら、
人に対しての深い愛情が見え隠れします。
(会場からも笑い声がたびたび)
短い時間なので、お考えのほんの一部なのでしょうが、
そもそも私がなぜ会を立ち上げたのかという原点(必要性)を
あらためて再認識されられたような気がしました。
天本先生のお考え、腑に落ちることが数々ありました。
認知症をとりまくさまざまな課題は、在宅へという流れもあり
地域社会と切っても切れない関係です。
そもそも個人だけでの対応はなかなか厳しい。
人としての尊厳や、その人その人の生き方の中心となるもの、
自分の核(意志)となるものを持ち合わせているかどうか。
さて、少し長くなりそうですが天本先生のお話からご紹介します。
(これまで同様、私の記憶とメモを頼りの内容としてご了承ください)
国は広島。現在もお袋が96歳、要介護5で一人暮らし。
本人の意思がそうしている。
わがままな母親で老人ホームも嫌だ。こちらに来るのも嫌だ。
一番大変なのは親戚の声。
「本人が嫌なのを老人ホームに行ったほうが幸せなんですか?」
というと、みんな黙ってしまう。
月1で通っている。遠隔ケアマネ!
高齢期ってどんな時期なのか。
制度上高齢期は65歳以上を想定している。
平均寿命が75から80と言われていますが、実は90歳以上が
130万人くらい。10年後は250万人。30年後は500万人以上。
ほとんどの方は、生活設計を変えてしまわなきゃならない。
65歳退職後から要介護になるまで、暇で暇でしょうがなくなる。
男性はぬれ落ち葉。夫婦二人の生活が多くなる。
外来の受診などで、両者、被害を受けてると称する
奥さん方のストレス。
男性が社会的立場を失う。モデルなき喪失になる。
老年期になって気がつくことがある。
自然や人の動きが読め、本質が見える。
自由な時間を好きなことをやる。そこがあって人生が完成する。
そのために努力しなければならない。
大きなプロセスが長期間。
かなりいろんなことを考えなければならない。
それがまちづくりにもつながる。
私がなぜ認知症の問題に取り組んだのか。
それは昭和55年にすでに認知症の実態調査から統計学的に
「年を取れば取るほど認知症の人が増えていく」と、わかっていた。
将来的に急速に増えていくのが、すでに30数年ほど前から
あきらかでした。
90歳以上になれば、4人に1人は認知症。
それに病気だけじゃなく買い物に行ったり掃除洗濯はできない。
しかも子どもさんとの同居なし。ほとんど夫婦二人。
そしてどちらか先に亡くなるのですから、お年寄りひとりに。
といったことが、統計的にわかっていた。
それに対してどんな準備をしていくのか。
「認知症であっても生涯地域で生活し続けられるように」
ということなので、医療だけでは解決ができない。
そういう意味で、まちづくりの認知症サポーターとか。
そこでこれからは「何かをしよう」というより「受け入れてほしい」。
認知症であっても、多少お庭でオシッコするかもしれないけど
スーパーでそのまま支払うということが出来なくて帰ってきても
「どうして放っておくのか!」じゃなくて「許容するようなまちづくり」
そういうことですね。
人生が95歳を想定してください。
自分を決定する因子は生活習慣と環境と遺伝と医療。
医療はたかだか10%、過剰な期待をもたれすぎている。
病院は死ぬ場所になっている。
医療について正しい知識を持って欲しい。
生活習慣は50%、生活習慣だからご自身がやってもらうこと。
意思を強くするクスリもない!生活を変えるクスリもない!
環境というものは、制度がどうとか福祉がどうとか。
受け入れてくれる。
隣の家と間違うこともあるのだから。
それを「どうして放っておくんだ!はやく入れろ!」
と言われてきたのを少しずつサポーターとかで認知症を
正しく理解しよう。
ほとんどが「俺は認知症にならない!」と思っています。
そして認知症になると自覚できない。
「あたしはそんなことはない!」
そして、ご家族も介護は長期間。
がんは大変だというけれど、先が見える。
だいたいこれくらいで死ねる!
認知症というのは、永遠というくらい長い期間です。
そして90歳以上になると、ふぅっと亡くなりそうになると、
ふぅっと元気になる。
いろんな意味で、最後の医療をどうするか。
だんだんと歩けなくなる。
もうろくする。
食べれなくなる。
食べれないことが異常と鼻から管を入れる。
痛いですよ~。
鼻がだめなら胃に穴を開ける。胃ろうです。
それで家に帰れるならいいけど、施設で天井ばかり見てる。
それを誰が決めているかというと、日本の特徴で家族が決める。
「本人の意思決定を尊重する」という。
「自分が決める。自分が決定する」
エンディングノートとかいろんなものがあります。
こうした準備もまちづくりだと思う。そういう風土。
「そんなに長生きしない」と、ほとんどおっしゃるんですよ。
でも10年後もこうしたイベントをやってるかもしれない。
ということですので、居場所の問題。
愛すべき居場所はぜったい病院ではないんですよ。
孤独死なんていっても、病院で家族もいなければ孤独死ですよ。
このようなことをご一緒に見て欲しい。
やっぱり、最後はどうなるかということを想定して欲しい。
アンケートではほとんどが自分の家でという方も、
多くは病院で亡くなって、それも長い。
やはり自分の問題として。
生存ではなく、生活者。しかも自分らしく。
自分の考えをしっかり持って、われわれ医療も協力したい。
本人の意思がそうしている。
わがままな母親で老人ホームも嫌だ。こちらに来るのも嫌だ。
一番大変なのは親戚の声。
「本人が嫌なのを老人ホームに行ったほうが幸せなんですか?」
というと、みんな黙ってしまう。
月1で通っている。遠隔ケアマネ!
高齢期ってどんな時期なのか。
制度上高齢期は65歳以上を想定している。
平均寿命が75から80と言われていますが、実は90歳以上が
130万人くらい。10年後は250万人。30年後は500万人以上。
ほとんどの方は、生活設計を変えてしまわなきゃならない。
65歳退職後から要介護になるまで、暇で暇でしょうがなくなる。
男性はぬれ落ち葉。夫婦二人の生活が多くなる。
外来の受診などで、両者、被害を受けてると称する
奥さん方のストレス。
男性が社会的立場を失う。モデルなき喪失になる。
老年期になって気がつくことがある。
自然や人の動きが読め、本質が見える。
自由な時間を好きなことをやる。そこがあって人生が完成する。
そのために努力しなければならない。
大きなプロセスが長期間。
かなりいろんなことを考えなければならない。
それがまちづくりにもつながる。
私がなぜ認知症の問題に取り組んだのか。
それは昭和55年にすでに認知症の実態調査から統計学的に
「年を取れば取るほど認知症の人が増えていく」と、わかっていた。
将来的に急速に増えていくのが、すでに30数年ほど前から
あきらかでした。
90歳以上になれば、4人に1人は認知症。
それに病気だけじゃなく買い物に行ったり掃除洗濯はできない。
しかも子どもさんとの同居なし。ほとんど夫婦二人。
そしてどちらか先に亡くなるのですから、お年寄りひとりに。
といったことが、統計的にわかっていた。
それに対してどんな準備をしていくのか。
「認知症であっても生涯地域で生活し続けられるように」
ということなので、医療だけでは解決ができない。
そういう意味で、まちづくりの認知症サポーターとか。
そこでこれからは「何かをしよう」というより「受け入れてほしい」。
認知症であっても、多少お庭でオシッコするかもしれないけど
スーパーでそのまま支払うということが出来なくて帰ってきても
「どうして放っておくのか!」じゃなくて「許容するようなまちづくり」
そういうことですね。
人生が95歳を想定してください。
自分を決定する因子は生活習慣と環境と遺伝と医療。
医療はたかだか10%、過剰な期待をもたれすぎている。
病院は死ぬ場所になっている。
医療について正しい知識を持って欲しい。
生活習慣は50%、生活習慣だからご自身がやってもらうこと。
意思を強くするクスリもない!生活を変えるクスリもない!
環境というものは、制度がどうとか福祉がどうとか。
受け入れてくれる。
隣の家と間違うこともあるのだから。
それを「どうして放っておくんだ!はやく入れろ!」
と言われてきたのを少しずつサポーターとかで認知症を
正しく理解しよう。
ほとんどが「俺は認知症にならない!」と思っています。
そして認知症になると自覚できない。
「あたしはそんなことはない!」
そして、ご家族も介護は長期間。
がんは大変だというけれど、先が見える。
だいたいこれくらいで死ねる!
認知症というのは、永遠というくらい長い期間です。
そして90歳以上になると、ふぅっと亡くなりそうになると、
ふぅっと元気になる。
いろんな意味で、最後の医療をどうするか。
だんだんと歩けなくなる。
もうろくする。
食べれなくなる。
食べれないことが異常と鼻から管を入れる。
痛いですよ~。
鼻がだめなら胃に穴を開ける。胃ろうです。
それで家に帰れるならいいけど、施設で天井ばかり見てる。
それを誰が決めているかというと、日本の特徴で家族が決める。
「本人の意思決定を尊重する」という。
「自分が決める。自分が決定する」
エンディングノートとかいろんなものがあります。
こうした準備もまちづくりだと思う。そういう風土。
「そんなに長生きしない」と、ほとんどおっしゃるんですよ。
でも10年後もこうしたイベントをやってるかもしれない。
ということですので、居場所の問題。
愛すべき居場所はぜったい病院ではないんですよ。
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やはり自分の問題として。
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Posted by オレンジの朝 at 19:38│Comments(0)
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